「神は、実にそのひとり子をお与えになったほどに、
世を愛された。 それは御子を信じる者が、
ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである。」
ヨハネ3章16節
神のひとり子、イエス・キリストが、罪の身代わりとして十字架にかかり、三日目によみがえり、今も信じる者を救いたもう事を信じ、心に平安が与えられました。 それまで私はイエス様を偉大な宣教師として信じていても、神の子が私の罪の身代わりとして死んで下さった事を、悟ることが出来ませんでした。
「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることは出来ません。」と聖書に書いてありますが、み救いを体験した時、病も癒され、一ヵ月後にはレアヒ・ホームを退院いたしました。
イエス・キリストのみ救いを体験した私は、その後聖霊の満たしと、今後の進む道を求め、六日間の断食祈祷をしました。
それから、ワヒアワのC・P・ミシンショップで働いていた時に、ジャニターをしているおじさんを怒らせた事を示され、行ってお詫びをしました。
そして六日目に「私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」
ガラテヤ2章20節
この御言葉によって約束の聖霊を受けたと信じて立ち上がりました。 今まで自分の幸せを第一に思っておりましたが、それからは、神の御心を第一に思うようになりました。 始めて聖書を私への手紙として読むようになり、今日まで読み続けております。
1929年11月、ロサンゼルスの葛原先生を迎えて特別集会が持たれた時に十数名の者が集まり、黒田ふい姉宅でワイアラエ・ホーリネス教会を始める決議をしました。
原口兄は後にハワイ島ヒロに帰って、ヒロ・ホーリネス教会を始め、私はワヒアワにおりましたので、その時まで属していた教会の先生に、ホーリネス教会への転会を願い出て許され、玉那覇兄姉宅で集会を始めました。
1930年、玉城兄が来て1軒の家を借りて集会を持ち、1931年に霜鳥先生を迎え、ワヒアワ教会を始めました。
1932年5月、平野先生は南キング街の家をリースしてホノルル・ホーリネス教会の独立伝道を始めました。 私はホノルルに仕事を得て、今日までホノルル教会の一員として仕えております。 その間、私は何回も病に倒れ、医者に2回ばかり危険であるから、家族や親しい者に会いに来るように、言われたそうですが、今日まで天国行きは延ばされております。
1955年、家内が急性リウマチで一ヶ月も入院、百四度の高熱が続きましたが癒されて退院をしました。 その後、妊娠をしましたが、心臓弁膜が痛んでいるからと医者から中絶をするよう勧められましたが、しかし家内は「エステルのように死ぬべくは、死すべし」と、祈りながら堕ろさずに丈夫な子が生まれました。 この勇気も神から与えられた神の恩寵と感謝しました。
1977年、家内は直腸癌の手術をしました。 その手術には三日間に、12ポンドの輸血をしました。 その後、癒されて退院しましたが、その傷が癒えるまで6ヶ月間も座ることが出来ませんでした。 それで細見先生に頼み、我が家で家庭集会を始めました。 家内は3年前に、天に召されましたが、あの時始めた家庭集会は今日まで17年間、毎週続いています。
| 丹治秀雄1 | 当真嗣栄 | 沢岻よし子 | 仲宗根おとめ |
| 平岡志子 | 堀内ふみ | 松田ルース | 水谷エドナ |
| 前田梅子 | 堀内政行 | 肥田末雄 | 肥田なが子1 |
| 岩田はなえ | 瀬長ルース | 健在者 | 召天者 |