戦局は次第に我が国に不利となり遂に終戦となりました。 呼び寄せた妻子が台中市に疎開しておりましたので、1945年10月に現地で満期になり、翌年、沖縄へ帰還しました。 沖縄は戦場となり、町は跡形も無きまでに荒廃しておりましたが、家族は北部の山村に避難してみんな無事でしたので、まず神に感謝しました。 沖縄は米軍政下で、私は軍作業や政府職員などをしておりましたが、次第に世の中も安定してきて、1951年自営の酒造業を始めました。成功して村でも資産家と言われるほどになりましたが、その後の設備投資と販売競争で次第に経営が思わしくなく、転業しようかと思いましたが、当時、為替相場が1ドル360円で、米施政下であり、米国市民権もありますので、渡米の手続きをして1963年にハワイに渡航しました。
1966年に沖縄の家族も呼び寄せて生活も安定し、借金も完済し、これからという時、1969年頃から毅(五男)が病気となり、大学を休学したりで家族も心配しました。
ある日彼は自分でハリス教会に牧師を訪ね、日曜日には礼拝に行くようになりました。暫くして私も誘われ、初めて教会の礼拝に行きました。牧師の説教はよく分かりませんでした。でも、皆さんが良くしてくださいました。教会員は年配者が多く親切で心もおだやかになるようでした。礼拝を守り聖書も勉強しました。
「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。
しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」
ヨハネ12章24節
御言葉の通りに私の家族は救われました。半年くらいして息子は洗礼を受けましたが、私はなかなか決心がつかず、その後十年近くも求道信仰でした。
1973年、潔(三男)も沖縄から呼び、彼は当市の建設会社に就職しました。1979年、毅は病癒えず召天しました。 潔は末弟の死の痛みもあったと思います。翌年献身して、東京聖書学院に学び牧師となり、現在日本ホーリネス教団伊東教会で奉職しています。(2008年現在は南つくばキリスト教会で奉職)
私たち夫婦も信心深い家庭に育ちましたが、古い慣習で仏壇も神棚もありまして、月々の先祖の命日には供え物を上げて、焼香合掌して拝んでまいりました。しかし、これからの事も考えて潔とも話し、中野牧師に依頼して祈祷していただき、先祖の霊は天に帰して、偶像は焼却処分にしました。
その後、1984年3月25日に、潔の付き添いで、教会にて中野牧師から夫婦揃って洗礼を受け、クリスチャンとして新しい生活がスタートしました。 今までの短気で後悔ばかりの性格も丸くなり、何回も失敗した禁煙も実行できました。横浜市の長男一家は未信者ですが、孫娘がミッション系の短大を出て、キリスト教を理解しておりますので、救われるようにと祈っております。当地の嗣之(四男)夫婦もカリヒ・ユニオン教会のメンバーになっております。
「わたしはあなたがたの老いる日まで白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。」
イザヤ46章4節
この御言葉を信じ、思い煩わず、全てを主に委ねて信仰に生きたいと思います。
| 丹治秀雄1 | 当真嗣栄 | 沢岻よし子 | 仲宗根おとめ |
| 平岡志子 | 堀内ふみ | 松田ルース | 水谷エドナ |
| 前田梅子 | 堀内政行 | 肥田末雄 | 肥田なが子1 |
| 岩田はなえ | 瀬長ルース | 健在者 | 召天者 |