風の吹くままに (ハワイより)

5/03/2008

5月4日週報に掲載

 さて今年もペンテコステの日が近づいて来ました。ペンテコステとは、ユダヤの祭りの名前で、おもに収穫の感謝の祭りです。この祭りの時に聖霊が降ったので、教会では、聖霊降臨記念日とか、ペンテコステの日などと呼ぶようになりました。
 キリスト教が国教のドイツなどでは、この日は国民の休日となっているくらい、教会にとって大切な日です。それもそのはず、この聖霊が降った時に、教会が目に見える形でこの地上に誕生したからです。ですからペンテコステは、教会の誕生日と呼ばれます。
 最近はスピリチュアルブームで、霊の世界が身近になってきているし、霊的なことは、もはや迷信ではなくて、現実のものとして受け入れられています。しかし、霊的な世界に対する免疫がないので、霊だと何でも信じてしまう傾向があるのを危惧しています。?ヨハネ4:1に記されているように「霊だからといってみな信じてはいけない。その霊が神からのものかどうかを試しなさい。」という言葉は、本当に重要だと思わされます。
 私たちはスピリチュアルブームの危険性や落とし穴について教えていかなければなりません。しかし、それ以上に聖霊なる神の素晴らしさを伝えて行きたいと思います。確かに霊の世界はあります。だからこそ、それが聖霊なのか、悪霊なのかを見分ける必要があります。
 聖霊なる神は、キリストの霊です。天地を造られた神の霊です。悪霊は人間の肉欲を満たそうと誘惑しますが、聖霊は私たちの魂を満たしてくださいます。そして神に造られた人間として、真に生きるべき道に私たちを導いてくださるのです。

関牧師

4/27/2008

4月27日週報に掲載

 まだ身体のあちらこちらがガクガクしています。先日のソフトボールの試合では記録的な点を取られて無念の一回降板となりました。なんと18点も取られて、しかもピッチャーで…。しかし、負け惜しみではないが、とても楽しかった。身体を動かして、大声を出して、スポーツはいいですね。
 今回は、マキキ、IJCC、ホノルルの3教会合同チームと、サンライズレストランのお仲間チームとの対戦でしたが、皆で集まって共に汗を流すというのは、実にいいですね。また継続してやりますので、次回のリベンジに向けて、皆さん身体を鍛えておきましょう。
 私が、これまで一番熱中したスポーツといえば、バレーボールでした。背が高くなりたいという一心でバレー部に入り、セッターに廻されたので、背は伸びず、指が短くなっただけでした。しかし、めちゃくちゃ練習して、1年生からレギュラーを取って大活躍?しました。
 私の時代には、まだスポーツ根性物語が優勢で、巨人の星やキャプテンなどの漫画にずいぶん影響されたものです。泥と汗にまみれて、立てなくなるまで練習をするという世界がなぜか好きでした。こんな練習の仕方には賛否両論あって、今ではもっと科学的根拠に基づいた練習が行われているようです。根性だけではだめなようです。
 もちろん信仰は、根性で維持するものではありません。恵みの世界ですから。しかし終末の時代にあって、根性のすわった信仰も必要でしょう。根性というより忍耐と言った方がいいかもしれません。何があっても「イエスは主」と言える者でありたいですね。その志を持つ者にこそ、聖霊の助けはあるのです。

関牧師

4/18/2008

4月20日の週報プログラムに掲載

堀内政行兄 91歳 天国へ凱旋

 まさに「凱旋」という言葉がふさわしい聖徒の死でした。天においては、天使たちが最敬礼をもって、堀内兄を迎えていることでしょう。 堀内兄は、1944年4月9日に受洗されています。当時の牧師は福田吉郎師でした。ちなみに、ふみ夫人の方は少し早く1939年11月26日同じく福田師より洗礼を受けておられます。
 お二人の信仰人生は、そのままホノルル教会の歴史と言えるでしょう。長い歴史の中では、嵐の吹く時もあったことでしょう。とりわけ第二次世界大戦は大きな試練の時であった察します。しかし、堀内兄を始めとし、多くの聖徒たちがその信仰を守り通し、礼拝を守り続けて来てくださいました。召される前の礼拝まで、ふみ夫人と二人で礼拝を捧げている姿は、それだけで、私たちに多くを語り、信仰の何たるかを示してくだいました。
 ふみ夫人が語られました。「ハズバンドは、言葉数は少ないけれど、祈りの勇者だった。私も子供たちも、ハズバンドの祈りで支えられて来たのです。」また、私たちも、教会も、この勇者の祈りによって支えられてきたのだと思います。教会の祈祷課題を見て、いつも祈っていてくださったそうです。
 私が堀内兄を病院に訪ねた時、最後に聴いた言葉は「アーメン」でした。とても力強く特別な「アーメン」でした。この一言が堀内兄の信仰人生の全てではなかったと思いを巡らせています。「アーメン、賛美と栄光と知恵で感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン」  黙示録7:12

関牧師


4/06/2008

4月13日プログラムに掲載

 教会の歩みの中において、会堂建築は最も大きな出来事の一つです。 本日の教会総会において、その是非が問われることになります。
 私たちが物事を決める時、二つの視点が必要です。まずは、会堂が建った時の状況をビジョンとして見ることです。次に実際に目に見える現状を直視して、目的達成のためには、どれだけの犠牲が伴うのかを見極めることです。 そして神の御心を求めることです。私たちクリスチャンは、状況を直視しますが、状況で判断しません。 なぜなら神が良しとされるなら、どんなに状況が悪くても、必ず成るからです。
 神の御心ならば、どんな難事業も必ず成ります。しかし、御心でなければ、石ころ一つでも動かすことは出来ません。私たちが状況を直視するのは、信仰が現実的であるためです。ひと時の感情や勢いは、状況の変化に影響されます。 しかし、現状を直視した上で与えられた信仰は、状況の変化にも影響されません。
 だからこそ、私たち一人ひとりが神の御心を悟ることが必要なのです。 本日の教会総会の選挙では、一人ひとりが自分の意志をしっかり持って投票してください。 そして、その一票が教会の将来に大きく関わるのだという自覚をもって投票にのぞみましょう。 総会の中では、質疑応答も持たれます。 「?」があればどんなことでも質問してください。 大切なのは、一人ひとりがコミットメントを持って教会と関わり、自らの確信に応じて投票することです。そのように投票されるならば、その結果は、神の御心と呼ぶことが出来るからです。

関牧師




4/05/2008

4月6日プログラムに掲載


 ゴールデン・シャワーツリーの鮮やかな黄色が、街を華やかにしている。毎年、この燃えるような黄色の花を見ると、皆さんに出迎えられてホノルル空港に降り立った時のことを思い出します。ちょうど3年前にハワイに赴任した時に、初めて目に映った花でした。
 今自分たちがここにいることの不思議、そして神の計り知れない導きに感謝するばかりです。この3年間の間で、主任牧師としての就任、そして現在の新会堂の建築計画と、大きな出来事が続きます。教会という所は単なる建物でもなく、ただの集団ではありません。それはキリストの体です。ですから命があります。命のある所には躍動があり、成長があります。成長には変化が伴います。教会は常に、躍動し、成長し、変化し続けるものです。私たちは、教会の営みの中で、いつも気づかされること、いや常に知るべきこと、それは教会のかしらはキリストである、ということです。
 ちょうど教会の聖書通読でヨハネの第三の手紙を読みました。そこには、教会の中でかしらになりたがっている人物がトラブルを起こしていることが書かれていました。教会の歩みの中で、最も大切なことは、誰がかしらなのか? ということです。牧師ではありません。役員でもありません。かしらはキリストです。キリストを差し置いて、自らがかしらになろうとすると、必ずトラブルになります。
だからこそ、教会のメンバーの一人一人が、このかしらであるキリストに結びついて、そこに人格的な関係を持っていくことが大切です。そして、いつでもかしらなるキリストの御心を求めて、従っていくのです。教会はキリストの体であり、かしらはキリストです。

関牧師



3/28/2008

3月30日プログラムに掲載

 先日、ラジオで聞いたフレーズが心に残ります。「他人と過去は変えられない。しかし、自分と未来は変えられる。」確かにそうだと思いました。変えられないものを変えようとすると行き詰まります。変えるべきものを変えないと、何も変わりません。キリストとの出会いは、変わるべきものが、変えられる時となります。

 先日は、日本から宮田ファミリーがハワイまで来てくれました。夫婦で洗礼を受けてから丸一年が経ち、その洗礼を受けた3/18に再び来られました。洗礼を受けてからの様々な経験をシェアーしてくれましたが、どんな中にあっても一心に主を求めている姿に感動しました。確かに主の恵みが、このファミリーを捕らえてくださったのだと、また一年後に会うのが楽しみです。
 宮田夫妻は、日本に帰る最後の日曜日に洗礼を受けました。その2日前ほどにお会いして、お二人の信仰の告白を聞かせていただきました。洗礼を受ける、クリスチャンになる、ということは一大決心です。それは大きな変化を伴うからです。変化の度合いは個人差があるでしょうが、特にクリスチャンの背景のない中で生きて来た方にとっては、相当に大きな変化になります。お二人もクリスチャンになったがゆえの生き方、価値観の変化の中で、戸惑いつつも、しっかりと変えられた自分を生きています。

「誰でもキリストの内にある者は、新しく造られた者である。」(?コリント5:17)

 実際に人間は、他人と過去だけではない、自分と未来だって変えられない。ただキリストの内にある時だけ、すべてが変わる。勇気をもって、キリストの下さる変化を受け入れよう。

関牧師




3/22/2008

3月23日プログラムに掲載

◆主イエス・キリストの復活をお祝いします。◆

 最近、嬉しくも困ったことがあります。携帯電話がよく鳴るのです。ミスコールが5コ、6コということもあります。正体は、まあやちゃんです。私の携帯電話の番号を暗記したらしく、学校が休みということもあって、続けざまに何度も携帯が鳴ります。これは、困ったと思いながらも、やはり嬉しさが増します。 電話の向こうで娘の声が聴こえると、思わず顔がゆるくなってしまいますある子供の施設でのことです。
 先生が子供たちに、お金の価値を教えていました。1円玉、5円玉、10円玉、100円玉、500円玉を並べて、一番価値があるのは500円玉だと説明します。そして「一番価値のあるのはどれ?」と質問するのですが、一人の子供だけは、何度教えても10円玉を指すのです。ある時、聞いてみました。「なぜいつも10円玉をとるの?」生徒は「この10円玉でお父さんに電話をかけるの」と答えました。この子供にとって、最も価値あることは、お父さんと話せることだったのです。
 時代は変わり、公衆電話から携帯電話になっても、子供の気持ちは同じだろうと思います。そして父親の気持ちも同じだろうと。その子供のお父さんも、きっと顔をゆるめて電話を待っていたのだろうと思うのです。 復活祭、それは主は生きておられるという喜びの日です。一日の内に何度も何度も主に電話しても、主はきっと喜んで、あなたからのコールを待っていてくれるのです。時にはイマージェンシーコールということもあるでしょう。10円玉ならぬ、復活の主を信じる信仰を握って、今日も復活の主にコールしましょう。

関牧師