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まず聴く事から始めましょう(夫婦11)
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| 傾聴していますか?
多くの子供たちが、親に話しを聴いてもらっていないと感じています。親の方では、聴いているつもりでも、子供にとっては違います。この親の「つもり」が曲者です。「聴いているつもり」「理解しているつもり」「愛しいているつもり」。しかし、子供に聞いてみると、親の「つもり」とのギャップが大きいことがあります。 大人は、どうしても物事を理想化する傾向があります。
もともと出来ていないと思っていれば、それではどうしたら良くなるのかと考え始めることも出来ます。しかし、出来ていると思っているわけですから、実は、子供には伝わっていないという現実に気づき、受け留める所から始めなければなりません。 |
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「聴く」という事に関しても、自分が親としてどれだけ子供の言葉を聴いているのかを吟味してみる必要もあるでしょう。 「聴く」という文字は、「聞く」とは違います。「聴く」とは、漢字のごとくに十四の心をもって耳を傾けるということです。聴いている時の態度をイメージしてみてください。熱心に心から聴いている時というのは、身を乗り出して、相手側に身体も傾いていると思います。「傾聴」という言葉がありますが、まさに身も心も相手に傾けて聴くということです。 なぜ子供が聴いてもらっていると感じていないのかというと、本当に訴えたいことを、聞き流されているからです。 | |||
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一見矛盾しているように見えるかもしれません。なぜなら、私たちは、子供が言葉で自分を表現できるようになって欲しいのです。ですから子供の口から発せられる言葉だけで判断し、コミュニケーションがとれれば、それで良しとしたいのです。しかし、子供がそのように口から発する言葉だけで自分を表現できるようになるには時間が必要です。あくまで発展途上、成長の段階にあるということです。
ですから、子供の口から発せられる言葉を聞いていても、心の言葉を聴くことがなければ、子供は聴いてもらっているという実感を持てないのです。
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| 傾聴の訓練
私たちが子供の心の言葉を聴くことが出来るようになると、子供の心の中にある言葉が、だんだん外に出てきます。 | |||
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どの人間関係にも言えることですが、相手から言葉を引き出すには、まずは傾聴することです。カウンセラーという仕事は、この傾聴を専門にする人たちです。熟練したカウンセラーは、見事にクライアントの心の内から言葉を引き出します。 私たちは言葉で自分を表現したいし、子供にもそうあって欲しいのです。しかし、人間は産まれた赤ちゃんがそうであるよう、最初から言葉で表現することは出来ません。 親は、親になった時点で強制的に、必然的にカウンセラーとしての訓練が始まります。子育ての現場は、毎日が傾聴の実地訓練を受けているようなものです。 この約二、三年間の訓練は、その後の子供とのコミュニケーションに大きな影響を与えます。時に、何で子供が泣いているのか分からない。何をやっても泣き止まない、ほとほと困り果てることもあります。しかし、そのように相手の心にある言葉を何とか聴こうとする姿勢そのものが尊いことなのです。
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私たちは当然のように、目の前にいる人の口から出る言葉でコミュニケーションをとるわけです。その言葉で色々な判断をします。それは、心にある言葉と、口から発せられている言葉が同じであるという前提に基づいたコミュニケーションです。しかし時に、心の言葉と口から出る言葉が同じではないので、コミュニケーションが難しくなるのです。大人は、言葉で自分を表現できるからこそ大人なのです。もちろん、大人であっても、それが出来ないことが多々あるわけですが。
さて、子育てをする中で、いかに子供の心の声に耳を傾けるかが、とても大切なことになってきます。 | ||
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どうしたら私たちは、もっと心の声を聴くことが出来るのでしょうか。これは子育てに限らず夫婦関係にも言えることですが。 前回は、心の内にあることを言葉で表現すること、それが出来ない場合はどのような原因が考えられるかを述べました。今回は、逆に、聴くことが出来ないとすれば、その原因はどこにあるのかを考えてみたいと思います。 親が子供の心の声を聴くということは、赤ちゃんに接していた時のことを思い出していただきたいのですが、その泣き方、動き方、顔色から、五感を総動員して、何を訴えているのか知ろうとしました。たとえ相手が思春期の子供であっても同じです。相手の本当に言いたいことは何のかを全力で聴こうとするのです。 | |||
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そのためには、聴くことに専念する必要があります。聴くという行いは、大変な労力と集中力を必要とするのです。
さて、以前人間の内には、大人の部分、親の部分、子供の部分があると話しました。聴くというのは親と大人の部分に属します。聴いてもらうというのは、子供の部分に属します。多くの場合、聴くことが出来ないというのは、聴くよりも聴いて欲しいと思っているからなのです。子供に対して、子供の立場で接していては、親としての働きをすることは出来ません。 |
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| 傾聴から理解へ さて、子供の心の声を聴くことが出来たら、次にその心の声を理解することです。聴いても理解できなければ、何のために聴いているのかとなります。
相手の心を理解するためには、自分の心を理解することです。親は少なくとも、子供が生きる人生を先に歩いています。子供のそれぞれの年齢は、すでに親は経験済みです。もちろん子供と親の人生は全く同じではありません。母親であるなら、息子はすでに性が違います。置かれている時代も状況も違います。しかし、本質的な部分では同じことが多々あります。 | ||
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まず乳幼児期ですが、特に乳児期の場合は、もともとしゃべれないわけですから、難しい面もあれば、聴くしかないという分かりやすい面もあるわけです。泣いている赤ちゃんに、「どうしたの?」と尋ねても、「うん、僕オムツかぶれして、そこがひりひりして痛んだ」とは絶対に言いません。ですから、五感を総動員して、何とか子供の心の声を聴こうとします。というより、そうするしかありません。この時期に親は必然的に、傾聴の訓練を受けているのです。この何とか子供の心の声を聴こうとする姿勢、努力が後になって大きく役に立つのです。
子供が五、六歳頃になると、ずいぶん言葉も出てきます。しかし、時々とんでもないことを口にしたりする時期でもあります。特に、幼稚園などに行き出すと、とたんに悪い言葉を覚えてきたりします。言葉が達者になってきたわりにはまだまだ言葉の使い方や意味が分かっていません。 |
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一〇歳頃にも一度、子供の成長に大きな変化があります。思春期に入る前の微妙な時期です。この頃になると、ずいぶんと言葉を上手く使うことが出来るようになります。しかし、言葉を あるいは、弟や妹が出来ることもあります。そうなると | |||
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聴いてもらっていないからです。例えば、子供が「学校に行きたくない」と言ったとします。「なぜ行きたくないの?」と尋ねます。」子供は「頭が痛いから」と答えます。親は「そう、じゃあ家で休んでいなさい。」あるいは「病院に行きましょう。」と答えます。本当に頭が痛いだけなら、それで問題なしです。しかし、もし頭が痛いということが、何らかの身体言語としての訴えであるなら、親の対応は不十分です。傾聴とは、相手の心の言葉を聴く努力です。もし仮病ではないかと思ったら、子供に学校の様子や、何か困ったことがないのか、尋ねることが出来ます。そして 人は、言葉を抑圧する人がほとんどです。要するに、本音が言えないわけは次のように語られました。 | ||
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「わたしに何をして欲しいのか」 (ルカ18章41節) イエスはいつも、人の内から言葉を引き出そうとされました。それは、人格を回復させるためなのです。私たちが神と共に生きるようになると、自分の内から言葉が引き出されるのを感じるはずです。そして成長に伴い、言葉を整理して、正しい表現で、相手が理解できる言葉で、愛を動機として、言葉を発することが出来るようになるのです。素晴らしいことです。
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さて、子供に対しても、言葉を引き出してあげたいものです。そのためには、心を傾けて聴くことです。そして言葉で表現できることの喜びを体験させるのです。言葉が受け留められるということは、自分の存在が受け留められることと同じなのです。ですから相手は喜びを体験するのです。 このような時代であるからこそ、言葉による感情処理能力を身につけることが、心に平安を保つ大きな助けになります。溜まっているものを神の御前に注ぎ出し、いつも軽やかに、爽やかに生きていきましょう。 文:関 真士
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