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関真士牧師
関真士牧師
 1964年東京生まれ。1984年にコックとして渡米し、サンノゼに滞在する。サンタクララ日系人教会でクリスチャンとなり、1988年に牧師になるべく東京聖書学院に入学。卒業後、おもに埼玉県、新座ニューライフチャペルで牧師として奉仕をする。2005年春、愛する妻と4人の子供達と共にホノルルキリスト教会へ副牧師として赴任し、2年後に主任牧師になる。趣味は料理。

ブログ「風の吹くままに」 を掲載中



「ON THE WAY」


 ある人が次のように言った。「大切なのは、何が出来たか、何が出来ていないか、ということよりも、どこに向かっているか?」 だと。大切なことは「方向」である。どんなに良い道に見えても、うまく歩けていても「方向」が違っていたら全ては徒労に終わる。

 聖書の「罪」という言葉は、ギリシャ語でハマルティアという、それは「的外れ」という意味がある。この的はずれとは、弓矢を放って、それが的に当たらないということではない。たとえ矢が的の真ん中に当たったとしても、実は的自体が違っているということなのだ。

 私たちの人生も、教会も、的を正しく捉えて、そこを目指して歩むことが大切なことになる。だから「方向」なのだ。進んでいる方向が正しければ、必ずゴールがあると信じることが出来れば、私たちは希望を持って前に進むことが出来る。その途上で、どんな困難なことや計画外の事が起こっても、方向さえ間違わなければ、必ず目的に到達することが出来るのだから。

 その方向は、どのように決められるのだろうか。教会は、まさに航海途上の帆船のようである。聖霊の風の吹くままに導かれるのだ。その道は決して一直線の最短距離では必ずしもない。遠回りに思えることもある。しかし、それが最善の道なのだ。

 風の吹くままにと言っても、それは何しないでただ寝転んでいるわけではない。帆船の乗組員は全力で風を読み、導かれる所を調べ、風の力を最大限に受けるべく帆を一杯に張るのだ。

 ホノルル教会は、天の父との人格的関係ということを基盤にし、「牧師中心のキリスト教的集団」から、「キリストを頭としたキリストの体としての教会」へと方向を向けている。その中で、救われる者が起こされ、ミニストリーが起こされ、祈りのムーブメントが起こされている。私たちはホノルル教会丸という帆船の乗組員だ。いい風が吹いて来ている。各自持ち場に付こう。帆を一杯に拡げて風を受けよう。

「風は思いのままに吹く」ヨハネ3:8

関真士牧師

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