説教 2003年2月


チャン・ゆき子姉葬儀
2月8日


連盟主催・ゴスペル演歌
上野五男牧師
2月15日午後


鈴木伸介牧師
2月23日

一粒の麦として

「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかしもし死ねば、豊かな実を結びます」

ヨハネの福音書12:24

キリストはこのたとえを通して、十字架の死の意味を教えてくださった。そしてその意味こそ、クリスチャン生活の中心的真理でもあるのだ。
 このたとえの主眼点は死ぬことによってのみ、いのちが与えられているということだ。キリストは文字通り一粒の麦となって、私たちのために死んでくださった、天の栄光をかなぐり捨て、奴隷となって十字架の死にまでも従われたのだ。
 実際、一粒の麦はそのままでは何も生み出さない。だが地にまかれ、自分を地中に沈めて初めて実を結ぶのである。殻は破れ、最初の自分は失われてゆく。だが古い自分がなくなったとき、そこに新しい自分が誕生する。

 キリストはその死によって、永遠のいのちへの道を開かれた。すべて彼を信じるものは罪赦され、永遠の命を与えられる。こうして十字架は無数のクリスチャンを生み出したのである。
 キリストの死によって生まれたクリスチャンは、この真理を自分に当てはめて生きようとする。それが自分を捨て、自分の十字架を負ってキリストに従うことだ。自分の殻を捨て、自分中心の自己に死ぬ時、新しい実を結ぶことが出来るのだ。

 昨年、丹治英雄兄が召された。私たちの心に、彼の姿は今も焼き付いている。それこそ一粒の麦として、教会のために生き続けた生涯であった。その自己犠牲と献身の働きは多くの実を結んだ。彼の残した信仰の遺産は、丹治メモリアル基金として、これからもその働きを続けていこうとしている。

鈴木栄一

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