説教 2005年02月

松永みか子、2月13日安産祈祷
安産祈祷、松永姉
2月13日、教育館にて

2月20日、・伊藤明子姉の証し
証し、伊藤明子姉
2月20日、礼拝にて

井下ファミリーと教会員、2月20日歓送会の後
井下ファミリーと教会員
2月20日歓送会の後で

 
水の上にパンを

「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見出そう」  伝道者の書11章1節

 1月の集会を最後に、開始して1年有余のコナミッションに一つの区切りをつける時がやってきた。

 今まで働いてくれていた地元の人たちが次々とコナの地を去るという状況の変化の中で、私たちに可能な働きの再検討を迫られていたが、今年から予定していた新しい集会場が使えなくなってしまった。さらに昨年の暮れから地元の教会が毎週の日本語礼拝を再開し、グループのメンバーがそちらに行くようになったのである。

 私たちのミッション開始の一つの動機は、日本語ミニストリーがコナにないことに対する重荷と責任感であった。だが新しい地元の働きが始まり、月に一度の通いで出来る私たちの働きの限界から、今は神様の時として区切りをつけることになり、今までの役割をひとまず終了することになった。
 さて、振り返って見て、このミッションが何をしたのかと考えさせられるのだ。人間的に計るなら、まことに微々たるものでしかないかも知れぬ。だが神の言葉の見方は異なっている。まず予期せぬ多くの旅行者が集会に出席した。それは一回限りの出会いに過ぎぬが、神の言葉は確実に播かれたのである。いつどこで芽を出すのか?それは神のみがご存知だ。

 またこの働きのために毎回、空港からの送迎をかって出てくれた高橋兄がいた。彼は青年時代に洗礼を受けたが、その後何十年と教会から離れていた。その彼が、このミッションを通して信仰の復活を経験した。今、彼は引退してマウイに帰って行った。現在はマウイの教会に通うようになった。

 伝道は水の上にパンを投げるようなものと言われる。だが「後の日になって見出す」のだ。高橋兄しかり、無駄なように見えても、神のご計画に決して無駄はない。朝に夕に、時が良くても悪くても、福音の種を播き続けることだ。

鈴木栄一

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