説教 2005年09月 |
![]() レバーデー・ピクニック 9月5日、鈴木牧師
「宣教の可能性」 |
ある日本で奉仕している宣教師が次のようなことを言った。「日本では福音を信じることは難しくない。難しいのは教会生活を送ることだ」。これは宣教の現場で体験させられた貴重な言葉である。私も日本で牧会をしていて痛感したのは、やはりキリスト教が日本という国の中に土着していかないということだ。宣教の文脈化という言葉が登場して久しいが、韓国の教会やアルゼンチンの教会、アフリカの教会などをみると、実に民族特有の教会のスタイルが出来ている。韓国の教会のスタイルは韓国式と呼ばれるほどに独特なものだ。 さて、そこで海外にある日系人教会に目を向けた時に、帰米二世の方々、戦後すぐに移民されて来た方々の中に、本来の日本人の持っていた高潔な人格を垣間見るのである。もちろん美化し過ぎることは問題だが、まだ「サムライ」がいるのである。私のような若輩には、一種のあこがれさえも感じさせる。戦前、戦後の『霊声』などを読ませていただくと、どうにも心が熱くさせられる。日本人に宣教する上で、「クリスチャンになることは、本来の日本人の姿を取り戻すことですよ」と伝えることは出来ないだろうか。そしてそのモデルが海外にある日系人教会の中に残されているのではないだろうか。すでに高齢になられている信仰の先輩方の生き様を、しっかりと見させていただきたいと願っている。 Tコリント9:19〜23
副牧師、関 真士 |
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9月2005年 | ||||||