説教 2005年10月

10月9日、ラジオ放送「心に光を」講壇交換、マキキ教会黒田牧師
「心に光を」講壇交換
10月9日、マキキ黒田牧師

10月13日、ハーベストタイム主催、安藤博士
ハーベストタイム主催
10月13日、安藤博士

10月16日、証し礼拝、ウィルソン加奈子姉
証し、ウィルソン加姉
10月16日、礼拝にて

10月31日、オールセイント・イブで寿司登場
オールセイント・イブ
寿司食いねー
10月31日

「あなたこそわたしの王」

   ヨシュア記が勝利の書なら、士師記は敗北の書だと言われる。その時代背景は何千年もの過去に遡る。だがその内容は現代そのものだ。そこに描かれている世界は、「イスラエルには王がなく、めいめいが自分の正しいと見えることを行なっていた。」(21:25)と言う言葉に凝縮されている。
 指導者ヨシュアを失ったイスラエルは罪に満ちた周囲と妥協し、「主の目の前に悪を行なった。」偶像礼拝と不道徳である。そこで神のさばきが異邦の民による侵略というかたちで下り、イスラエルは神に助けを求め、神が士師(さばきつかさ)を遣わされる。士師の存命中は忠実に神に仕えるが、彼が死ぬと再び背信の道をたどるという、この繰り返しが士師記なのだ。

 「王を失う」とは如何なることか? 王は万民の支配者だ。故に王を失うとは、万民が仕える指導者を失い、またそこに帰るべき指導原理を失うことに他ならない。その結果は必然的に「めいめいが自分の正しいと見えることを行なう」という社会を生み出すことになる。

 目を覆う不義がまかり通る士師記の世界は、イスラエルがその霊的生活、道徳生活、市民生活において、いかに無秩序であったかを如実に物語るが、それはまた現代社会の無秩序と全く同じなのだ。「王」を失った人類は「羊のようにさまよい、おのおの自分勝手な道に向って」行かざるを得ないのである。

 人類の王は「神」である。万民が拝み、愛し仕えるべきお方こそ「天地の造り主、全能の父なる神」なのだ。にもかかわらず、悪魔はあらゆる手段を用いて「王」の追放をたくらんでいる。国旗に忠誠を誓う“under God”は違憲だとの最近の判決も、人間の心から「真の王」を追放させようとの悪魔の奸計でなくて何であろう。世界は今どこに向っていくのだろうか?そこに待つのは、神のさばき以外の何ものでもない。真に平和な世界秩序の回復のために士師記のメッセージに耳を傾け、王なるお方を宣べ伝えねばならぬ。

主任牧師、鈴木栄一

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