説教 2005年11月 |
![]() 証し、井原姉 11月13日、礼拝にて
「小さいこと、大きいこと」 |
教会が成長していく時に、必ず起こってくる正反対の動きがある。それは、大きくなることと、小さくなることである。教会は、「一人も滅びることを願わず」という神の御心のゆえに、一人でも多くの人が救われることを信じ、期待し、宣教の業に励んでいる。その結果として教会は大きくなろうとする。 一方で、教会はキリストの体であることの純粋性を失わないように、この世から聖別されることを求めている。教会の聖性、交わりの深さ、成長のエネルギーは、小さいほど豊であるから、教会は小さくなろうとする。
大きいことによって、数の論理で動いている世の中に対しては、強い影響力を持つことが出来る。数が多ければ、日本の某宗教団体のように与党になって立法にさえ関ることが出来る。莫大な予算を持てば、宣教の可能性と規模はいくらでも広がっていく。人材や予算に悩むこともない。
5千人が集う教会で、一人が来ないことが、どれだけ牧師の心や他のメンバーの心に影響を与えるだろうか。10人が集う教会で一人が来なければ、どうだろうか。 教会は、大きい方がいいのか、小さい方がいいのか。答えは「両方が必要」である。ある何万人も集う大教会は、実際には、20人規模の教会がたくさん集まっている集合体である。日曜日に一箇所に集まるので大きく見えるが、実際には20人教会の小ささをキープしている。一つの教会の中に、大きい部分と小さい部分を両方持つこが出来ると素晴らしい。これを実現するためには、地域集会、セルグループ、ミニチャーチなどと呼ばれる、スモールグループの充実がキーになってくる。
キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。 (エペソ書4章16節)
副牧師、関真士牧師 | ||
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11月2005年 | ||||||