説教 2006年7月

「サバティカルを終えて」

  2ヶ月半に及ぶ日本縦断の旅から戻った。トータルで30の教会を訪ねて多くの人達に出合い、そのうち14ヵ所でメッセージを語る機会が与えられた。

 そもそも今回の訪日の目的は、渡米して40年を経た今、日本の教会がどの様な変化を遂げたかを知ろうとする事にあった。そしてそこで見たものは、私の知る40年前のスタイルと雰囲気を忠実に保ち続ける伝統的な礼拝の教会と、いかにも現代的な新しいスタイルで動く教会の存在であった。当然ながら、そこには多くの若者が集っていた。しかし全体としては、やはり旧態依然との印象を免れなかった。

 そんな中で機会がある毎に私が語ったのは、アメリカ的視点からの信仰の吟味であった。すべてが個から始まるアメリカ的思考と、集団を意識せずには動けない日本的思考それぞれの持つ功罪の中で、日本の教会成長を妨げる様々な要因のひとつに、やはり新しい皮袋を受け入れることへの違和感が根強いということを思わされた。

 信仰の本質は不変である。だがその信仰の表現方法は時代とともに変化する。変えてはならぬものと、変えねばならぬこととの区別がつかないようだ。日本からのビジターが口々に言う「アメリカの教会は明るくて、自由で、のびのびとしていてうらやましい!」との驚きの言葉は、その辺の気持を代表しているのかも知れぬ。

 教会は常に変わりつつある時代の中に置かれている。古い皮袋にしがみついてばかりいては、時代から忘れられ取り残されてしまうのだ。福音は少しも変わらないが、教会が今日の世の中のニードに答えるためには、それを伝える方法が大いに検討されてしかるべきであろう。

鈴木 栄一 牧師

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