説教 2006年9月

「しもべの心」

  弟子たちが誰が一番偉いかということで争っていた時、主は「私が来たのは仕えられるためではなく、かえって仕えるため」であると言われ、「あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい」と諭された。

 今日、クリスチャンが一番必要としているのは、この「しもべの心」を身につけることではないだろうか。教会は今、主に仕えるために、お互いの賜物を生かすことに全力投球している。自分の賜物を発見する最良の近道は、いろいろな奉仕に進んで自分を当てはめてみることである。その時、自分の適性が見えてくる。何もしなければ、結局、何も分からずに終わってしまうのである。

 賜物を見出したら、それを生かす場を積極的に求めなければならない。だが賜物を生かすには、しもべの心が必要だということを忘れてはならない。なぜなら賜物は「皆の益のため」に与えられているもので、自分の名誉や誇りとはまったく無縁のものだからだ。
 賜物というものは各自に与えられた独自のものであり、自分だけがその賜物を生かすことができるのだ。となると、とかく人は自分がさも偉い者であるかのように錯覚するのである。ここに悪魔の仕掛ける大きな落とし穴が隠れているのだ。

 主人に仕えるのがしもべの本来の働きであり、自分のために、自分が好むやり方で仕えるのではない。主人を喜ばせることがしもべの最大の喜びであり、主人の言う通りにしてこそ、しもべの道が完成するのだ。

  主に仕えることは、人に仕えることから始まる。教会は互いに仕える者の交わりの場である。私たちが互いに仕え合うことを学ぶ時、主人(キリスト)の名があがめられ、その栄光が現れるのである。しもべとなって、私たち罪人のために救いの道を完成してくださった主に倣い、私たちもしもべの心を心として、主の歩まれた道を歩ませていただこうではないか。


鈴木栄一牧師

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