説教 2006年10月

「小グループのチャレンジ」

  今、教会ではスモールグループの学びをし、また実際に活動を始めようとしている。この取り組みが、単なるプログラムの一つで終わらないで、教会のあり方そのものとして定着していくことを願っている。

 小グループは、聖書的であり、とても良いものだ。一人でも多くの方に参加して欲しいと思う。しかし、良いからといって、全員が参加し、活動が出来ていくかというと物事はそんなに単純ではない。小グループに参加できないとするなら、どんな理由が考えられるだろうか。
 まず、時間がない、忙しいという理由である。本当に時間がないのだから、小グループには参加できない。しかし、それで終わってしまっては元も子もない。人間その気になると、結構時間を作り出すことが出来るものだ。小グループには、忙しい人をその気にさせるような魅力があることをお伝えしたい。
 次に、他者と近くなることに恐れを感じる場合がある。本音の交わりとは聞こえはいいが、実際に人と人が近くずくことは、そんなに明るいことばかりではない。お互いの心の内を聴くのも、話すのも、それなりのエネルギーが必要だ。しかし、その恐れを愛と赦しによって乗り越えた時、そこに現れる交わりの麗しさは、まるで天国の前味とも言える。

 さらに、色々と考え過ぎてしまう人もいる。時間配分は?内容は?予想されるトラブルは?色々と先回りし過ぎると、身動きが取れなくなる。やってみないと分からない部分がたくさんあるので、とりあえずやってみることだ。

  小グループは、キリストの体なる教会の血管のようなものだ。体の隅々に栄養を送り、酸素を送り、老廃物を取り除く。

「2人でも3人でも、わたしの名によって集る所には、わたしのその中にいるからです。」  (マタイ18:20)


関 真士 副牧師

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