説教 2007年5月


”人は何者なので”

「人は何者なので、これを御心にとめられるのですか」
詩篇8:4

  クリスチャン生物学者、安藤和子博士の近著「ダーウイン・ネガネをはずしてみたら」を読んだ。進化論を信じる頑固な無神論者としてその半生を生きてきた著者が、科学が答えることの出来ない「いのちの意味」を求めて教会を訪ね、理屈抜きの不思議な神体験によって信者となったその証しと、「聖書メガネ」を通して見た、神の創造による完璧な世界の美しさ、素晴らしさを語る珠玉のエッセイである。
 著者によると、進化論とは、「何百億年にわたって辛抱強く待っていたら、偶然に、原子が分子に、無機物から有機物に、簡単なものから複雑なものになり、やがて生命が自然発生し、アメーバーのような単細胞から、順番に弱者は滅び、高等な生物が生き残って、ついに人にまでなった。そして今も人からさらに高等な生物に進化し続けている、と考える『思想体系』なのだ」という。

 偶然で始まる人生に、その意味や目的があるはずはない。そこにあるのは「適者生存」、「弱肉強食」という価値観だけであり、今日の人間社会を毒する最大の害悪となっている。われわれはこの事実に、真剣に目覚めなければならないのだ。
 進化論の出発点は、徹頭徹尾、無神論であり、神を否定せずにはおれない、人間の傲慢さがその背後に潜んでいる。残念ながら、99%以上の日本人は進化論を科学的に証明された正しい理論だと信じ切っているという。だがその科学的証拠は何処にもなく、進化仮説を信じる進化論者の「信仰」に過ぎないというのだ。
 日本人がクリスチャンになり難い理由の一つは、確かに、ここにあると言えよう。われわれは声を大にして、大胆に「神の創造」を伝えねばならないのだ。神が与えてくださった人生であればこそ、生きることの意味と目的は明確になる。

 人は猿から進化した動物ではないのだ。ご自身に似せて造られた神の傑作であり、神の栄光のために生きる存在である。「あなたは人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました」(5節)。
 人間の尊厳と栄誉はここにある。われわれは今こそこの真実を、進化論仮説に汚染されきった世代に、力強く宣べ伝えていかねばならないのである。 

鈴木栄一 牧師

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