説教 2007年8月


「起きて、床を取り上げて、歩きなさい」

ヨハネ5:8

  とうとう私たちにこの日が来た。鈴木牧師ご夫妻の引退という日だ。教会にとって大きな変化である。私たちは変わることのゆえに悲しみを感じる。この悲しみを抑えてはならない。涙するべき時に涙を流しておかないと、心に溜まってしまうから。    また同時に、変わらないことのゆえに、主を崇める。教会は牧師でも、建物でもない。教会はキリストの体である。私たちは、これからも地上にいる限り、身体の許す限り、この教会で主を礼拝し続け、主を証し続けるのである。なぜなら、この教会には主がおられるからだ。

 鈴木先生が礼拝説教で語ってくださったように「神の計画」がある。過去を振り返る時にそれが良く分かる。そして将来を見渡す時、私たちは神の最善の計画があることを信じるのである。各々の人生に神の計画があるように、教会の歩みにも神の計画がある。鈴木先生の「自分の足で立て」というメッセージの次に来ることは、「主と共に歩け」だと確信している。これから、主と共に歩く、つまり「どうのように生きるのか」について、ご一緒に求めていきたいと願っている。
 限られた地上の人生の中で、クリスチャンと呼ばれて生きることの意味を求めていこう。クリスチャンとは、このように生きるのだということを証していこう。そして、どのように生きるかは、イコールどのように死ぬかに直結している。パウロは告白した
「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」

(ピリピ1:21)

 クリスチャンと呼ばれていても、失敗することがあり、弱さがあり、罪を犯すことがある。この世に生きている限り、多くの戦いがある。常に感謝、信仰、勝利で進むことが出来るわけではない。しかし、そのような自分であるからこそ、キリストの十字架が自分のためであったと分かったのである。私たちは、自分を誇るために人生を歩くのではない。神の栄光のために歩くのだ。神の栄光は、人間の弱さの中に、謙遜の中に現される。「歩きなさい」とは、神の栄光のために生きること、そして神の栄光のために死ぬことである。

関真士牧師

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