説教 2007年12月


「イエスとの人格的関係」

 もう12月!? まだまだ心がクリスマスについていけてない。今あわててカレンダーに頭を合わせているところだ。
 ところで、2007年を始めるにあたって、この一年は「イエス・キリストとの人格的関係」ということに焦点を当てていこうと語ったのを覚えている。さて、皆さんは、この1年間を通して、イエス・キリストとの人格的関係が、より深く、より親しく、より強いものになっただろうか。
 私たちは、日曜日に礼拝をし、聖書を学び、祈り、奉仕をし、クリスチャンとしての生活を送っている。私は牧師として、結局のところ、会衆をどのように導こうとしているのか、しばしば自問することがある。ただ礼拝に来てもらって、礼拝出席人数が増えることなのか。奉仕を沢山してもらうことなのか。あるいは、人生の問題、苦難が解決されていくことなのか。

 現在、私が得ている答えは、「信徒一人一人が、イエスとの人格的な関係を確立すること」である。人格的関係とは、そこに聴くこと、語ることがあり、体験的な関係があるということだ。もちろん、それはタテマエではなくホンネの関係だ。宗教ではなく、命の関係だ。
 12使徒のトマスのことを想う。彼は、復活のイエスに直接出会った時、「私の主、私の神」(ヨハネ20:28)と告白した。それまでは、ペテロの神、ヨハネの神であり、自分の神ではなかった。しかし、イエスに出会った時に、初めて「私の主、私の神」となったのである。イエスは、あの人の神でも、牧師の神でも、キリスト教の神でもある以上に、「私の神」なのだ。
 私たちの信仰の目的は、人生に問題が起こらなくなることか。問題がすぐに解決されることか。宗教的なキャリアを積んでいくことか。そうではない。イエスとの人格的関係を確立することだ。そのための学びであり、祈りであり、試練なのだ。そして、そこから真の教会成長が始まる。なぜなら教会成長とは、キリストの体として成長することであり、キリストの人格が現れることだからだ。そして、教会の成長は、宣教の拡大として実を結んでいく。  「私の主、私の神」

関真士牧師

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